世界に誇る、日本の和紙

Bài: Mayu Senda / Ảnh: Masanao Toyoshima / Hợp tác: Tesuki-Washi Tanino, Saitama Prefecture Ogawa Office, Takako ChibaJan 15, 2018

一枚一枚表情の違う、温かみのある独特の風合い。

和紙に触れるとき、わたしたちはそこに「日本の伝統」を感じることができる。

長い年月を経て、人から人へ受け継がれ、現代まで伝わってきた伝統技術。

その大切な火を絶やさぬよう守り続ける、日本の職人をたずねた。

日本の職人

日本の手漉き和紙技術が、ユネスコの無形文化遺産に登録

2014年11月、埼玉県の「細川紙(Hosokawashi)」、岐阜県の「本美濃紙(Honminoshi)」、島根県の「石州半紙(Sekisyubanshi)」がユネスコの無形文化遺産に登録された。石州半紙は2009年にすでに単独で無形文化遺産に登録されており、この度新たに2種類の和紙が加わる形となった。日本には各地に和紙作りの文化があり、原料や産地によって分類すると、その数は1000種類以上に及ぶ。今回その3種類が選出されたのは、日本産の楮(Kouzo)という植物を使い、伝統的な手漉きの技術で作られていること、地域全体で、和紙を広め後世に伝えていく活動を行っていることが理由とされている。そう、登録されたのは和紙そのものではなく、「和紙技術」。そこには、この価値ある技術を守り、未来に残していこうとする日本人の「志」も含まれている。

和紙の歴史

日本に紙を作る技術が伝わったのは、7世紀初頭、飛鳥時代のこと。中国で発明され、朝鮮から日本へと伝わったとされている。これが最古の記録だが、それ以前にすでに紙漉きが行われていたという説もある。仏教の写経、戸籍や史実の記録などのため紙が使われ、紙作りは全国に広まっていった。

日本の紙作りの初期、原料に使われたのが、野山に生えていた「楮(Kouzo)」だった。その丈夫さから、長期保存する必要がある重要な文書などにも使われた。その後平安時代には、和歌や漢詩などをたしなむため、貴族の間で「雁皮(Ganpi)」という樹の樹皮を用いた、表面がなめらかで美しい紙が用いられるようになる。そして江戸時代に入ると、比較的栽培がしやすい三椏(Mitsumata)を原料にした紙も作られ始め、ふすまや障子など生活に密着したものから、絵画や本などの嗜好品に至るまで、人々の暮らしに紙が欠かせないものになってゆく。

 江戸時代に成熟した和紙文化であったが、明治時代を迎えると、アメリカから西洋の製紙技術が伝えられた。1874年には日本で最初の機械による西洋紙生産がスタート。1889年に西洋紙の原料となるパルプの国内製造が始まると、西洋紙の機械生産は一気に加速した。新聞や教科書などさまざまなものに西洋紙が使われるようになり、和紙の生産は激減。現在、日本国内の生産量は紙全体のたった0.3%程度になってしまっている。

和紙

和紙の魅力

和紙と西洋紙は、原材料も製法も全く異なっている。植物の繊維をからませ合って作る和紙に対し、木材の繊維を粉末状にすり潰したものを使う西洋紙では、まず耐久性が違う。「和紙は1000年、西洋紙は100年」という言葉もあるほど、和紙は保存性が高く、1300年以上も前の書物が今でも奈良県の正倉院に保管されている。

さらに、西洋紙は色を白くするために薬品を用いるため、時間がたつと黄ばんでくることがあるが、和紙の原料は天然素材のみ。最初はほんのりと黃みがかった自然な色あいで、光にあたると時間とともに白くなってくる。長く使うほどに、味わいが出てくるのだ。

職人が一枚一枚手で漉くからこそ、一枚として同じものが存在しない。あなたが手にとった手漉き和紙は、世界に一枚だけの和紙だ。

和紙

職人・谷野裕子さんと和紙

冬まっただ中の2月の日本。世界遺産にも登録された、埼玉県の細川和紙の職人・谷野裕子さんの和紙工房を訪れた。越生駅から車で10分ほど。山があり、川があり、自然に囲まれた場所に、木造のかわいらしい一軒家があった。今ではだいぶ少なくなってしまったが、昔このあたりには和紙や建具の店がたくさんあり、にぎやかな商店街だったのだという。

2月は和紙作りのハイシーズンである。理由は、楮の収穫時期が11月下旬から1月にかけて行われるから。また、暑い季節は、もうひとつの材料であるトロロアオイという植物の粘りがなくなってしまうし、水も傷んでしまうからだ。この日は2月にもかかわらずポカポカと暖かい日だったが、「こんな日はだめなのよね」と裕子さん。紙漉きの液はひんやりと冷たく、冬の寒い日に紙漉きを行うのは、とても大変な作業に違いない。

職人・谷野裕子さんと和紙

実際に紙漉きの作業を見せていただいた。漉き舟に、ほぐした楮の繊維とトロロアオイ、水を混ぜ合わせた液が入っている。とても細かい目の簀の子(漉き簀)が敷かれた、漉桁という額縁のような道具に、まず一回目の液を流し入れる。これで和紙の表面のなめらかさが決まるため、化粧の水という意味の「化粧水」と呼ばれる。それをさっと全体に広げ、すぐ捨てる。簀の子の上にうっすらと膜ができた。もう一度液を汲み上げ、縦や横に小刻みに揺らす。こうすることで、繊維同士をしっかりからませる。汲み上げて揺らして捨てる、を3〜4回繰り返し、最後にもう一度化粧水を広げ、出来上がり。豆腐のような、まだ水分をたっぷり含んだ「和紙」を、一枚ずつ重ねていく。これを乾燥させると完成だ。

裕子さんは元々、和紙とは関係のない会社に勤めていた。埼玉の東秩父で初めて和紙と出会い、手漉き技術の美しさに「ひとめぼれ」し、30歳を過ぎてから職人を志した。「元々和紙は、冬に農作物がとれないので、野菜の代わりに楮を収穫して作り始めたものなんです。日本の四季と自然に寄り添っていて、生活に必要とされたものだからこそ、今でも残っているんですよね。後世に伝えていくためには、使う人の立場に立って、必要とされるものを作っていかなくてはいけないのです。」裕子さんはにこやかに、でも真摯な眼差しで、そう語った。

手漉き技術

漉いた和紙は何枚も重ねていく。繁忙期は一日200枚以上を漉くという

手漉き技術

脱水した和紙を一枚ずつ丁寧にはがし、鉄板に貼り付ける

手漉き技術

鉄板の裏には、薪を燃やして温めたお湯が通っている。和紙を貼り付け、はけで整える。乾き具合は、手で触って確かめる

和紙の職人

左から、谷野さんの友人の京子さん、夫の全さん、裕子さん、宮古島から研修にきている陽子さん、京都の専門学校の和紙工芸科を卒業した、弟子の優索さん

SENDA MAYU/ kilala.vn

谷野裕子

谷野裕子
細川和紙の職人。埼玉伝統工芸会館和紙工房の工房長も務める。夫や友人、若い弟子たちといっしょに和紙作りを行い、さまざまなイベントに漉き舟を持ち込んで和紙作りを披露したり、和紙を使った新しいインテリアデザインを提案するなど、活動の幅を広げている。

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