今、日本での主流はナチュラルメイク。素肌の美しさがメイクの仕上がりを決めるため、日本人女性は常に、白く、キメが細かく、潤いのある肌をめざしています。女性が美しくありたいと願うのは、どの時代も同じ。日本人女性の美肌への思いには、どのような歴史があるのでしょうか。
6世紀〜 白粉で、とにかく白く
6世紀頃、日本に化粧品が伝来しました。それまでは、魔除けのために顔を赤い顔料で塗ることを化粧と呼んでいましたが、おしゃれや美のための化粧はこれが始まりです。鉛でできた白粉で顔を真っ白くするのが、当時最先端のおしゃれでした。白粉は8世紀の平安時代にも受け継がれ、貴族の女性たちは黒髪を身長よりも長く伸ばし、豪華な着物を着て、肌を真っ白く塗りました。昼間でも薄暗い宮中で過ごすため、暗い場所で映えるように白くしていたのだといいます。そんな厚化粧を、どのように落としていたのでしょうか。この時代、洗顔をしていたという明確な記録は残っていませんが、小豆の粉末を用いていたのではないかと言われています。このあと日本は戦の多い時代へと突入しますが、この化粧文化は脈々と続いていきます。
17世紀〜 美肌意識の高まり
時は17世紀、江戸時代になり、世に平和が訪れると、庶民の女性たちにも化粧が広まり、おしゃれを楽しむようになります。この頃の書物には、スキンケアに関する明確な記述がみられます。時代とともに薄化粧が主流になり始め、女性たちが素肌の美しさを意識し始めたようです。玄米を精製するときに出る糠(ぬか)を洗顔料として使っていたのは、米文化の日本ならでは。そして、ヘチマで作った化粧水で肌を整えるのが一般的だったようです。糠もヘチマも、今でもスキンケア製品の原料として使われています。肌にいいものは、今も昔も変わらないのですね。さまざまな種類の洗顔料が発売されていたり、美白美容液の作り方、肌ツヤをよくする洗顔方法の本などが出版されており、すでに美肌に対する意識がかなり高かったことがうかがえます。
19世紀〜 西洋の美容文化の到来
19世紀、明治時代に入ると、日本は近代化をめざし、西洋の文化を次々に取り入れていきます。そこで欧米から入ってきたのが、日本人の肌の色に近いベージュのおしろい、石鹸、美容クリーム。それまでの真っ白な白粉から、自然な肌の色のベースメイクの時代となり、よりいっそう美しい素肌をめざすようになりました。洗顔で汚れを落とし、化粧水でうるおいを与え、栄養が豊富なクリームで保湿するといった、現代にもつながるスキンケアの基礎ができあがったのです。クリームはマッサージや化粧落とし、化粧下地にも使われるなど、万能アイテムとして女性たちの憧れの品となりました。さらに明治時代後半に登場した初のエステは、流行に敏感な女性たちの注目の的でした。あまりに高価なため、一部の富裕層にしか広まりませんでしたが、今から100年も前に、日本の美容界はここまで発展したのです。
20世紀〜 進化するスキンケア
21世紀〜 素肌の美しさ
戦後、再び活気を取り戻した美容市場では、美容技術の発展とともに、美白や高保湿、アンチエイジング、ニキビケアなど、さまざまな付加価値をプラスした商品が次々に生まれます。メイクは、Audrey Hepburn風、小麦色の肌、細眉などさまざまなトレンドを経て、今の主流は「ナチュラルメイク」。すっぴんと見間違えるほどの素肌感、ナチュラルな仕上がりの眉、アイメイク、リップカラーに人気が集まっています。メイクは流行がありますが、スキンケアがめざすのはいつの時代も「美しい素肌」。今後さらに研究が進められ、より高度な美容技術が生み出されてゆくことでしょう。日本のスキンケアやメイクの技術は、ベトナムにもどんどん入ってきています。日本製品を使ってみたり、日本人のやり方に倣うことで、あなたもきっと、とても美しくなるはずです。
SENDA MAYU/ kilala.vn